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Hurt-心の痛み-

Hurt-心の痛み-

●摂食障害の私的、道ぃ~

●○●摂食障害●○●

2002年、中学2年生
■全部の始まり。。
→このときから私は摂食障害にかかっていたらスィ。
まずは拒食症が今日ワ♪
ダイエットなんかしていなかった。
前前から友達に細いね~って言われつづけてたけど
自分では【何処が細いんだろ?】って思ってた。

■ダイエットしてないのになんで拒食に????
→その当時、吹奏楽部に入っていた。
いろんな事情があって、もう部活に顔を出すのもヤダし
後輩にも、恥ずかしくて顔を見せれない状態だった。
そういうのも、自分がまかされたソロのプレッシャーに絶えれず、
リードをわってしまい、先生に
「お前はソロ駄目だ、後輩にやらせる」と、言われたのが
そもそもの部活サボりの原因。
【後輩よりヘタな先輩って・・・】と思いはじめ、
部活に参加しなくなり、ある日・親に止めさせて欲しいと頼んだら
ものの見事に殴られ、
「お前がやらせて欲しい、どうしても部活したいって頼んだんだろうが!」
と、納得の行くことを言われた。
中1の頃、本当は部活駄目と言われていたけど親を説得してやっとこさで
はいった部活。それなのに自分の気分で辞めたいは・・・(汗)
と、自分で思ってしまった。
こんなことが拒食に関係あるのかと言うと、まったくもって関係ある(ぇ。)
そうしていくうちに、
【どうやったら辞めさせてもらえるんだろ?】
と言う考えが出てきた。
【そうだ、ご飯を食べなくなって心配かければ、部活のせいだと思って
辞めさせてもらえるかもしれない・・・どうせダイエット時期だと思ってたし・・・】
そう思いはじめたのが、始まりだった。

1日1食、少量しか食べなかった。
昼に給食のおかずやご飯をを3口ぐらいかじる程度。
それから体重がどんどん落ちていったのに、
私は全然気がつかなかった。
そしてある日、学校で気持ち悪くなって、先生が心配して保健室に運ばれたのでぃ。
それから病院行き。でも精神病院や心療内科ではなく、普通の内科。
そして、ブドウ糖が激減してるとかなんとか言われた。
そして体重を量ったのが制服をきて(スカート(冬用)・ブラウス)
34kgになっていた・・・。
たった、2週間で42kgの体重が34kgに落ちた。

その日から、食べないとやばぃな、と思っていろんなものを食べるように。
結局部活は辞めさせてもらえた。
私の想像した通りだった。

拒食も何もかもおさまり、普通に暮らしていた。

2003年、秋
■これで本当に終わりだったの?
→体重が34kgから普通に戻っていき、3年生の秋には156cm46kgになっていた。
そして生徒手帳にはられた写真(写真を一人一人とった)
それを見て、私は驚愕した。
ほっぺがプクンと出ており、二重になったアゴ、いわゆるデブ。
そのデブが平然とした顔でニッコリ笑いまで浮かべて写真に写っている。
【これは、私だ。このデブは、私だ・・・】
それが、ダイエットの始まりだった。。。

2003年、冬
■体重は落ちた?
→普通にダイエットを進めていくうちに2~3kgは軽く落ちた。
でも2.3ヶ月はかかった。
そのころ、なんでだかバカみたいに、がばがば食べ物を食べることがあった。
頻繁(ひんぱん)にじゃないけど、1週間に1回ぐらい。
食べた後は罪悪感でいっぱいで、どうしようか悩んでいた。
そのうち、過食は1週間に3.4回になり増えていった。
もちろん体重も増える。
でも、まだ吐くことはしなかった
まだ・・・。

2004年、冬・・・終わりごろ
■ダイエットの道をそらしてしまった
→その頃、まじで過食が頻繁になってきてこれはもう、吐くしかないと思った。
サイコドクターで鈴木杏ちゃんが過食症の子を演じてるのを見ていたので
吐くことは知っていた。
体重が42kg~43kgの間を行き始める。
やせたい、と言うよりストレスからくる過食だった。
3月ごろから仕事がはじまり、
毎週40時間以上働いて、自由がまたたくまに消えていった。
それでも学校に行っていたので学校の帰りは遊んだりしてから仕事にいっていた。
その分だけマシだった。

2004年、春
■春休みや、高校生活
→春休みも余裕で仕事。仕事仕事仕事。でも昼は遊んでいたりした。
学校がはじまってからが、本当の地獄だった。
朝起きてから学校に行き、放課後は誰とも遊ばずに
帰ってから座る暇もなく出勤。
深夜に帰宅して、パソコン・風呂で終わり。
【どこに自由があるの?あたし、遊びたい。】

そういう気持ちが強くなっていたけど、その気持ちが尊重されることはなかった。
そのうち、学校・仕事の生活を繰り返していると体調が崩れはじめる。
もう毎日のように吐いていた。体重は42kg~41kgの間を流れる。
保健室に頻繁に行き、
ベットにつけば1分もしない間に眠りに入っていた。
それほど、疲れていた・・・

そして鬱も、だんだん酷くなっていき、恨みたくないのに人を恨み、
暴言なんか吐きたくないのに吐いていた

2004年、5月
■吐きダコを見つけた時
→毎日何回かある嘔吐、過食。
1ヶ月におよぶ過食嘔吐に気がつけば人差し指にタコが出来ていた
【これが・・・・・・、吐きダコ・・・】
怖かった。これほどまでに吐いていたのかと気がついた。
そして保健室の先生に相談する。
しかし、ものの見事にシカトされて、その問題は保留になる。
嘔吐すれば顔がむくみ、嫌気がさしたけどやめれなかった。
過食するモノが甘いものだと言うことに気づく。
そして、毎晩甘いもののコトばかり考えて、
食べれなかったときには(甘いものが)寝れないほどだった。
食べたい、、ケーキ、プリン、ドーナツ、クッキー、生クリーム・・・
もう甘いモノだけしか考えられなくなった。
これは昔からだったからビクともしなかったけど
甘味依存症
だと言うことに、気がつく。

2004年、6月
■嘔吐が駄目なら----

→悪魔やサルに嘔吐していたのがバレる。
でもシカトされ、何も言われなかった。
【アタシって、愛が欲しかっただけなのかなぁー(笑・涙)】
そのとき、本で「過食は愛がたりないからおきる」とか言うのを見つけて
真剣にそう思い始めていた(笑)
そして過食はするけど、嘔吐はやめようと思っていたときに
出会ったのが下剤。
前は週1だったけど週2,3,4・・・
気がつけば毎日になっていた。
週1のころは
【1回でこんなに痩せるなんて!!】と感激した。
体重は41kgから40kgの間をさまよっていた。
だけど、毎日使いはじめるとだんだん効果が薄くなっていった。
それから不整脈とかいろいろ引き起こして、ついには・・・

2004年、7月
■・・・
→ついには、倒れてしまった。
パタンとベランダで。妹に発見され、妹に引きずられる(笑)
親には極秘と言うことになった。
今思えば街中で倒れたらやばいな、と思った。
そして学校のある日でも、腹痛に耐え、下剤を飲みつづけた。
それでも食欲は、とまらなかった。
【こんなの人にしられたくない、じゃあ・・・】
みんなに俺の胃袋は宇宙だっといいまくり、笑いをとる。
ただそれしかなかった。
この些細(ささい)なセリフにふくまれたSOSを気がついてくれる人は、
一人もいなかった。

彼氏ぃ~も下剤を乱用してると言ったらキレ、その日から
パンをちょっとでもかじろうと努力している。
華蓮に会った日や、話を聞いてもらった日は不思議に過食はおさまる。
迷惑かけてばっかだ(汗
結局下剤はつかってるけど・・・。

■食生活は・・・?
朝は抜いて、昼は何か細かいものを食べる。
もし昼に外に出たなら、お菓子を買って食べる。
少量、もしくは大量。
夜も抜く。
もしくは夜はお菓子
ご飯・おかずとか言われるものはまったく、
もうお菓子しか食べてない状態だった。

前はずっと、この病気と付き合っていくつもりだった。
【別に治らなくてもいいし。治そうともしないや。】
そればっかりだった
けど今は、治したい。
完治したい。食べ物のこと以外も考えたい・・・。
野菜ジュースや、パンなどを食べるようになった。
今現在体重は40~40.5kgの間をさまよう。
前は0.5kgなんてへっちゃらだったけど
今は0.5kgでも太ることが恐ろしい。
目標体重は38か37kg。
そしてそのあとまっているのが、それぐらいに痩せて、
甘い食べ物をたくさん食べる・・・。ただそれだけ。
甘いものがたべたい。でも食べるなら痩せてからじゃないと。
下剤の使用で顔がむくむ(汗)
【もう、下剤なんかやめたい・・・っていうかおかしいよ・・・
やめたいのに、やめれないなんて。おかしすぎる。】

そんな気持ちが、強い。

2004年、8月
食べたり食べなかったりが続き、体重は39~39.5kgの間をフラフラ。
ユウキや華蓮に会った日はちょっとでも食べようと思うと
それが過食へとつながり、増える。
そして下剤を使うことになる。
そろそろ下剤がなくなりはじめているので、大丈夫だと思うけど
また買ってしまわないか不安。
体重計にいちにち何十回ものるようになった。
食べたら乗る、気になったら乗るといったかんじ。
38kgを目標にしてるけど、そうなったらどうなるんだろうと思う。

そして河島のダイエットはまだ続くのでした。

2004年9月
8月は、拒食だったと思った。
ぶっちゃけて「彼氏」と言う存在が私を拒食にした。
別れてなかったら今ごろ35kgは確実。
ユウキと別れて、あの時は拒食だったんだ・・・
と、今さら気づく。
栄養失調が極度(?)のため至急で入院。
なかなかユウキのことが忘れられず、夢にでてきたり
何をしていても考えてしまう。

2004年11月


-----

~ある人に当てたSOSのメール~


治したいと思いすぎてるぐらい治したい(ぇ。
おとといまで拒食状態に近かったのに、
治さなきゃって思って食べると、あらとまらな~い♪
ケーキのホールなんてペロリと食べちゃうし
過食に使うお金は・・・(滝)

外に出ればお菓子の倉庫♪【食べても大丈夫、太らない。治さなきゃ】
とか思ってもいざ家に帰って体重計に乗ればヒステリーになって
【もう何も食べないわ~!!!】って叫びつづけてるわけだし★
下剤も毎日毎日使って、いけないってわかってるのに、とまらなぃ。
【あーもうこりゃ駄目だね、手遅れだ。】なんて思っちゃってるけど
その反面治したい(爆笑

病院になんか行けないから自分で治してやると意気込んで
ネット・図書館で調べてこんなに危険なことしてるんだ~とか思って
悲しくなるのにやめれなくなったり。
----が参照に っていったサイトにも書いてあったけど
・栄養失調・無月経・貧血・低血圧・低体温・低カリウム血
・皮膚の乾燥・産毛(うぶ毛が濃くなる)・除脈・浮腫(むくみ)
・女性ホルモンの減少・耳下腺リンパの腫れ
↑これは今のあたしの状態だよーぅ。
駄目だよねぇ~やっぱり。はっはっは。

前は一人で泣きじゃくってたけどもう笑うしかなくなってきた(苦笑
こんな話しを真面目に聞いてくれる人もいなく、
保健室の先生に相談したら見事シカトされ、
友達も話したら話したでおかしいもの扱いされるんじゃないかと不安で
結局----に話しちゃってる始末。(申し訳

実を言うと中学2年で、すでに拒食を経験してて(←認識してなかった。認めなかった)
治って、おさまっていたのに中3の終わりで過食が発生。
きゃぁΣ(・□・) さすがのあたしもビビリました。

友達とミスドとか行くときも余裕で7.8個食べる食べる。
その後でもお菓子を食べる食べる。食べるけど、でも止めて欲しくて。
こんなに食べるとおかしいって思われるから、【俺の胃袋は宇宙だ~】って言って
友達を笑わせてたけど、それはSOSのサィンなのです。
気がつけば【いつご飯食べたっけ?】になってて、毎日お菓子の嵐。
それで下剤使ってるわけだから体は・・・やばいのかな。
ご飯は食べることが怖いのに、お菓子は食べると止まらない。
しいていうなら甘い物??気がつけば甘味依存になっちゃってたみたいな。
甘いもの食べなかったら寝れなくなったりどうしようもなく苦しくなったり
それがないと生きていけないぜ状態。

そういえば最初は嘔吐からはじまったのよーぅ。汚い話しをごめんなさい。
吐きダコなんか余裕でできちゃった。
それが怖くなって「今日ヮ♪」って顔だしたのが下剤。
って何説明してるんでしょうか。
やっぱりあたしは誰かに助けを求めつつも、自分で治してやるとか思ってるくせに
無理だ~とかあがいてる結果なのでい。
でも昔は治そうともしなかったし、逆にこの病気が大好きだったから
昔に比べたら良くなってると自分で思うヮケ!(爆笑中

今日も学校帰りにいろいろ買っちゃって今、私の右には下剤。
駄目だなぁ~って思う。


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2009年9月

河島は20歳になりました。
あの、惨劇からもう8年。
私の摂食障害は少しずつ完治へと足を運んでいます。

下剤は相変わらず飲みます。
47錠から今や16錠へ減りました。

朝起きてから夜寝るまで食べ物のことを考えなくなりました。

朝昼晩3食、あんなに食べられなかったお米ですら
毎日食べています。

体重を計ることをやめました。

恐怖心はありません。

ただ下剤は飲んでしまいます。


長かった摂食障害に
かなり終わりの釘を打っています。
何がこうさせたのか、マスミサイルのライブか
あの職場での仲間たちか、
それはわかりません。


ただ私は「やせよう」と言う呪縛からやっと開放されました。
痩せたいとたまに思うけど、しっかりご飯も食べています。

8年前の私に会えるとしたらいってやりたい。


あの何もかもが見えずに暗闇にいて死んでいた日々。


「大丈夫。かならず回復する。そして終わりがある。」



と言うことを。



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